小さな石の欠片が頬に当たり、そのささやかな痛みで倒れていた猟華は目を覚ました。
「・・・っ。くぅ・・・! どう、なったの・・・?」
地下の部分に落下した事を思い出し、猟華は真紅の輝きを失った目で、周りを見回した。
だが、光の届かぬ場所のはずなのに、何故か周りがぼんやりと明るい。
まだ頭がはっきりとしない猟華の耳に、先程まで対峙していた少年の声が届いた。
その声は、猟華の頭上から発せられていた。
「目が・・・覚めましたか・・・?」
「ええ・・・貴方も無事のようですね・・・。っ!?」
軽く頭を振り、少年を見て猟華は信じられないものを目の当たりにした。
「・・・っ。くぅ・・・! どう、なったの・・・?」
地下の部分に落下した事を思い出し、猟華は真紅の輝きを失った目で、周りを見回した。
だが、光の届かぬ場所のはずなのに、何故か周りがぼんやりと明るい。
まだ頭がはっきりとしない猟華の耳に、先程まで対峙していた少年の声が届いた。
その声は、猟華の頭上から発せられていた。
「目が・・・覚めましたか・・・?」
「ええ・・・貴方も無事のようですね・・・。っ!?」
軽く頭を振り、少年を見て猟華は信じられないものを目の当たりにした。
少年は血塗れで、猟華に覆いかぶさるように立っている。
傷は降り注ぐ瓦礫によって付いたのだろうが、猟華が驚いたのは少年の背後に、途方もない量のビルの残骸が圧し掛かっていた事だ。
落下直後、少年はありったけの呪符と霊力を使い、自分と猟華を守る最小の結界を張った。
だが、途方もない重量に結界の力だけでは足りず、破れそうになった部分を自らの肉体で補った。
結果、少年は重傷を負いながらも瓦礫を自分一人で受け止め、猟華を救い、そのまま守り続けていたのである。
尋常な力ではない、どんな優れた術者でもこれだけの事をできるのは世界でも数えるほどしかいないだろう。
彼がいなければ、猟華は数十トンものコンクリートと鉄筋によって原形を留めぬほどに潰されていた筈だ。
いかな人外の化生といえど、もし肉体をそこまで破壊されていたら、再生は不可能だ。
周りが明るくなっているのは、大量の呪符がぼんやりと燃えるように発光しているからだった。
「あ・・・貴方・・・! どうし、て・・・!」
「一応・・・男だし・・・ね」
驚愕する猟華に、少年は微笑みながら答える。
それは、猟華にとって懐かしささえ感じる、優しい微笑だった。
「前言撤回です。変わった人どころではないですね、貴方は大バカさんです」
「ひ、ひどいなぁ・・・当たってるけど」
猟華は一瞬、泣きそうな顔をしたが、すぐに険しい表情を浮かべた。自分の置かれた状況を確認し始める。
(ここは、地下倉庫のようですね。・・・衝撃で気を失う前の感覚からして、落下したのは一階分くらいの深さ。気を失っていたのは・・・五分ほど。問題はどれだけの量の瓦礫が上に落ちてきたのか・・・)
「くっ・・・。機関の人たちが来ても、これじゃ・・・!」
「もう少し頑張ってください、私の力で脱出できれば・・・!」
猟華の髪の毛が“うねった”。
ザワザワと波打ち、見る見るうちに彼女の頭髪は伸び始め、先端から緑色に変化する。
それは、植物の“蔓”のようだ。
結界はドーム状に展開されているので、届いていない下の床の部分から這い出し、瓦礫の隙間という隙間に侵入していく。
猟華の額から汗が一筋、流れ落ちた。
(・・・ダメだわ・・・! 瓦礫の量が多すぎる、五人分の“淫蝕草(いんしょくそう)”を作り出したから、今の私にはここを脱出するだけの魔力が残っていない・・・!)
猟華は悔しげに唇を噛む。
周りにはこの結界以外の空間は見当たらない。
瓦礫によって潰されてしまったのか、淫蝕草に捕らわれた陵辱魔たちの姿はおろか、呻き声すら聞こえない。
と、呪符の一枚にピキ、パキ、と亀裂が入った。
呼応するように、頭上の瓦礫からパラパラと砂がこぼれ落ちる。
少年も、長くは持ちそうになかった。
(このままでは、いずれ私たちも・・・! でも、どうすれば・・・)
苦しげな少年の顔を見つめているうち、猟華は助かる方法を一つだけ思いついた。
だが、それは一時的に彼に今以上の我慢を強いる事になるものだった。
(・・・でも、選択肢は他にない・・・!)
「あの・・・」
「ん・・・な、なんですか?」
猟華の呼びかけに、少年は片目を開けて苦しそうに答える。
「貴方は、どこかの魔族と契約していますか?」
「いえ・・・。自分はまだ、誰とも、契約はして、いません・・・」
苦しげに、途切れながらの返事に猟華は頷く。
「それなら、一つだけここを脱出する方法があります」
「え・・・な、なんですか・・・?」
「私と契約してください」
「・・・・・・え?」
少年の顔が、火がついたかのように赤くなった。
「え、え・・ええぇ!?」
「契約すれば、貴方の霊力との相乗効果で私の力は数倍に膨れ上がります。そうすればここからの脱出も容易に出来るでしょう。ただ、状況が状況ですので仮契約になりますが」
「で、でも、その、貴女との契約って言うのは、その・・・」
「本来の契約は私と交わることで成立しますが、仮契約の場合は、私が口から貴方の精を飲むだけで済みます。契約時よりは劣りますが、ここを脱出するには十分な力を得られるでしょう。・・・貴方、女性との経験は?」
「あ、ある訳・・・ない、じゃないです、か!」
「そうですか。・・・どうしますか? 残念ながら、今の私の力では脱出は無理です。決断はお任せします。貴方の方が分かっているでしょうが、あまり時間はありません。急いでください」
「そ、そう、言われても・・・こ、心の準備ってもんが・・・くっ・・・!」
淫魔との契約とは、すなわちセックスに他ならない。
しかし、ただ単純に性交すればいいと言う訳ではなく、互いの魔力と霊力の質を高めながらこれも交わらせ、絶頂へと達する事が必要だ。
ある意味、房中術に近いといえるだろう。
だが、人間と淫魔では快楽に耐えるキャパシティが違いすぎる。
並みの術者では快感に飲まれ、全精力を淫魔に吸収されて果ててしまうだろう。
下手をすればそのまま死亡、良くても廃人は免れない。
淫魔以外の魔族との契約も、同じく命の危険を孕んでいるのだ。
故に、契約の前に相性をみる意味合いで、仮契約が行われるようになった。
これにより互いのキャパシティを計り、成功率を調べるわけだ。
女の淫魔との仮契約は、術者の精を淫魔が飲み、術者の属性・相性・霊力の強さや質を計る。
これに合格すれば、正式な契約をする事になる。
これは実質、淫魔による契約の適正試験を受けるような物なのだ。
少年はまだ年端も行かないが、術者としてその事は全て知っていた。
「ううぅ・・・選択肢は、ない、か・・・」
「ええ」
静かな声で、猟華が相槌を打つ。
性的なものを感じさせない、勤めて静かな声に少年の心は決まった。
「分かり、ました・・・やり、ましょう・・・!」
「はい。では、失礼しますね・・・」
猟華の細い指が、少年のズボンのジッパーを下ろす。
下着から取り出された彼のペニスは、猟華の想像よりずっと立派なものだった。
「それでは始めます。気をしっかり持っていてください」
「わ、分かり、ました・・・!」
猟華は垂れ下がっているペニスを軽く握ると、亀頭部に口付けした。
それだけで少年がビクン、と大きな反応をする。
普通ならばお構い無しに責めている所だが、今は必要以上に翻弄せず、とはいえ急いで射精を促さなければならない。
魔力を使って強制的に射精させる事はできるが、それでは意味が無い。
猟華の魔力が精液に溶け込んでしまうからだ。
あくまでも快感によって吐き出された、少年本人の純粋な精液でなければならないのだ。
淫魔である猟華でも、難しい注文であった。
(でも、やらなければ・・・!)
ゆっくりと起ち始めたペニスを口に含み、猟華は舌を亀頭の周りをクルクルと回転させたり、尿道に差し込んだり、先端部を重点的に責める。
そのうちペニスは熱を帯び、猟華の口の中で硬く、逞しく勃起した。
その脈動を感じつつ、猟華は頬や上顎に押し付けながら頭を動かして亀頭に刺激を与え、右手で肉の棒をこすりあげる。
「くっ・・・! う・・・! くぅぅぅ・・・っ!」
羞恥か、快楽か、あるいは傷の痛みの為か、少年の息が荒くなり、結界のあちこちが軋みを上げ、呪符たちの亀裂が多く、深くなっていく。
砂や小石が猟華の体に降りかかる。
残された時間は僅かだった。
「もう少しです、頑張って」
「は、はい・・・っ!」
歯をギリギリと食いしばり、少年は快楽と苦痛に必死に耐えている。
奇しくもそれは、猟華の淫魔としての特性と同じであった。
(彼を、早く解放してあげたい――!)
猟華は、いつの間にか少年を助けたいと強く思うようになっていた。
意を決し、最後の責めにかかる。
少年の腰を挟むように持ち、口を性器に見立て、激しく前後に動かし始めた。
「う・・・っく! うは、ぁぁ・・・っ、ぐは、うぁぁっ・・・!」
口をすぼめ、中身を吸い上げるようにしながらひたすらに肉棒を口内でしごきあげる。
猟華の唾液と少年の先走りの液が混じって潤滑剤となったそれが、じゅぷ、ぐちゅ、と淫らな水音を響かせる。
灼熱の肉棒を蕩かすような猟華の責めに、ついに少年は頂点に達した。
「う、ぁ、くぅ、ぁぁあ・・・っ!」
少女のような声を上げ、猟華の口内に吐き出した。
のどの奥を叩くような精液の射出に、猟華は眉をしかめつつも、口内を満たした白濁液をすぐに飲み干した。
(・・・!? これは・・・!)
猟華の体に、魔力が満ちる。
失われていた分を完全に補充し、なおも溢れんばかりの魔力が全身に満ちていく。
驚きに、猟華の唇からペニスが抜け落ちた。
「凄い・・・。質や強さだけの問題じゃない、これは・・・貴方は一体・・・。っ!!」
少年の体から、力が抜けた。
結界を構成していた呪符のことごとくが連鎖的に弾け、その力を失い一瞬で燃え尽きていく。
彼が猟華の上に倒れ込むと同時に、結界は完全に消滅した。
「くっ!! うぅぁああああああーーーーーっっっっっ!!!」
猟華の瞳が再び真紅に染まった。
急激な魔力の奔流は猟華の体から膨れ上がり、紫電の纏わりつく黒球へと変化する。それは少年を抱きしめた彼女を包み込んで、急速な上昇を開始した。
数十トンもの鉄筋コンクリートの塊が、黒球に触れた瞬間に砕かれて砂礫に変わり、下へと流れるように落下していく。
猟華たちはものの数秒で地上への脱出に成功し、そのままの勢いで夜空へと飛び出していた。
地上数十メートルの高さで浮遊するように動きを止めた猟華は、黒球を消して星を見上げた。
綺麗だ、と思った。
震災によって地上の過度な光源が失われた為に、夜空の星たちは冬の澄んだ空気の中、満天に光り輝いていた。
猟華は少年の傷だらけの体に力を流し、強力な治癒を施した。
腕の中で、少年が身じろぎする。
「あ、気が付きましたか?」
「う・・・え、ええ・・・えっと・・・?」
「脱出成功です。貴方の精は、私の体に・・・淫魔ととても良い相性でした。いえ、淫魔の体に特化していると言ってもいい程です。貴方、一体何者ですか?」
空を飛んでいる事に驚いて猟華にしがみ付いた少年は、照れ隠しに咳払いを一つして名乗った。
「自分の名は、久留間 罪。久留間一族の者と言えば、納得すると思います」
「久留間一族!?」
今度こそ猟華は心底驚いた。
久留間の名の由来は『繰る(くる)』『魔』から来ているとされ、魔族の間でも“魔を操る術者”としては有名な一族だったからだ。
名門中の名門と言っていいだろう。
自分の結界を素通りした事といい、瓦礫の山を防いだ事といい、並みの術者ではないと思っていた猟華は、ようやく少年の実力に合点がいったのであった。
「そうですか、まさか久留間の血族の方だったとは・・・」
「すみません、自己紹介が遅れちゃって」
そこで、猟華もまだ名乗っていなかった事を思い出した。
「あ、そういえば、私もまだでしたね。私の名前は“猟華”といいます。“狩り”をする“華”という意味です。これからよろしくお願いしますね、ご主人様」
「猟華さんか、いい名ま・・・え?」
最後の方で、妙なことを言われた気がした少年は聞き返した。
「ん、どうしました? 傷が痛むのですか? ご主人様。先程、私の力で治癒を施しておきましたが・・・まだ傷みますか?」
「いや、体の方は大丈夫っぽいんですけど・・・ご、『ご主人様』って一体・・・?」
「え、何を面食らっているのですか? 貴方は私と仮契約したではありませんか。そして、それは見事合格です。私は貴方との契約を望みます」
「い、いやいやいや! だってあれは脱出する為にした事で、やむを得なかったと言うか、他に手がなかったと言うか」
「ええ、そうでしたが・・・。私は、貴方の事が好きになってしまったようです。貴方さえ良ければ、私は貴方と契約したい」
猟華自身、自分の変化に驚いていた。
彼女はあまり人に深く関わらず、さりとて完全に離れる気にもなれずに人間に混じって暮らしてきた。
人外の者であるという事実を隠してそんな半端な生活をしてきた猟華は、いつしか人の温もりを求めていたのかもしれない。
自分を娘として抱きしめてくれた、あの優しい老夫婦のような温もりを。
そして、それをこの少年ならば与えてくれるのではないか・・・そう思えたのだった。
「クスクス。今すぐに決めて欲しいなどとは申しません、じっくりお考え下さい」
「あ、・・・う~・・・はい・・・。で、でも、『ご主人様』はやめてください、途轍もなく恥ずかしい」
「え、そうですか・・・。少々残念ですが、仕方がありませんね。では、何とお呼びしましょう」
猟華の笑顔にうろたえながら、罪は赤い顔で答える。
「ざ、罪、でも久留間、でも好きな方でいいですよ」
「ん・・・。では、罪さんとお呼びしましょう。よろしくお願いしますね、罪さん」
「い、いえいえ、こ、こちらこそ」
とうとう猟華の顔を見る事ができなくなり、罪は眼下の光景へ目をやった。
よく見れば、暗闇の中で幾つもの小さな光が動いている。
恐らく駆けつけた機関の者たちだろう。
猟華が気を失った際、彼女の結界も消滅していた為にビルに近づけたようだ。
「猟華さん、そろそろ降りましょう。機関の人達が待っているみたいです」
「え。・・・もう少しこうしていたい気もしますが・・・仕方ないですね。ところで罪さん?」
「はい?」
「降りる前に、その、ズボンを元通りにしておいた方がいいですよ?」
「え・・・うげぇ!?」
先程、猟華に昇天させられた分身がだらしなく夜風に晒されていた。
空中だという事と猟華の『ご主人様』に気を取られ、まるで気が付かなかったのだ。
これ以上染まりようがないというくらいに赤い顔で、罪は慌ててしまい込むのだった。
地上に降り立った二人を、作業服姿の人間が十人ほど待ち構えていた。
さっきまでとは打って変わった真剣な顔で、罪はテキパキと彼らに状況説明と指示を与えた。
結局、五人の陵辱者たちは瓦礫に埋もれ、生存は絶望的だった。
仮に息があったとしても、猟華の作り出した緑の女・・・淫蝕草に捕らわれたままなのだ。間違いなく精を極限まで抜かれ、じきに命の火も消えてしまうだろう。
猟華と罪が脱出の際に開いた穴も再び瓦礫に埋もれ、穴があった事など分からなくなっていた。
ここで起こった事は、全て“無かった事”になった。
「猟華さんは、どうしますか?」
「え、何を言ってるんですか。私はまだ返事を貰っていませんよ、もちろん貴方について行きます。それに、連中が送られる筈だった“生き地獄”も見てみたいですし」
「そう・・・ですよねぇ~・・・あはははは」
困ったように笑う罪に、猟華が周りの作業員に聞こえるように大きめの声で聞く。
「む、返事が貰えるまで、私は同行しますよ。断ったりしませんよね? ご主・・・」
一瞬、空気が凍るような錯覚が罪を襲う。
「ええ! それはもう! 歓迎しますよ! あっはっはっ!!」
周りの作業員が何事かと目を向ける中、罪のワザとらしい笑い声が響く。
彼は猟華と仮契約した事を内緒にしていたのだった・・・さすがに恥ずかしいのであろう。
満足げに頷く猟華の視界の隅に、小さな何かが見えた。
「? ・・・あ」
足元の小さなそれを、猟華はしゃがみ込んで見つめた。
「あは、は・・・? 猟華さん? どうしました」
「・・・花です」
罪が近寄って覗き込むと、猟華は小さな花を見つめていた。
大人の親指程度の小さな白い花が、そよ風で折れてしまいそうに弱々しく揺れている。
同じ花が五つ、それぞれが少し離れた場所でひそやかに咲いていた。
「可愛らしい花ですね」
「・・・淫蝕草の花です」
「えっ?」
猟華は悲しさと慈しみが入り混じった瞳で、花を見つめている。
「淫蝕草は餌食にした人間の命が消えた後、種となって花を咲かせます。そして、その人間の“優しさ”や“情”が深ければ深いほど、美しい花を咲かせるのです。連中の中にも、一欠けらの良心が残っていたのでしょう。・・・こんなに弱々しい、簡単に欲望に負けてしまう良心を・・・」
静かな猟華の声には、やるせない想いが込められていた。
「どうして人は、負けてしまうのでしょうね・・・欲望に」
その小さな呟きは、罪の耳には届かずに、風に流れて散った。
猟華を迎え入れてくれた老夫婦は、彼女を我が物にしようとした無法者らの手によって殺された。
怒りに我を忘れ、その時、彼女は初めて人を殺めた。
全員を嬲り殺しにし、落ち着いた後、まだ息があった養父から貰った最後の言葉。
『猟華、人間を嫌わないでおくれ。いつかきっと、お前を受け入れてくれる人間が現れる。そして、お前を幸せにしてくれるだろう・・・』
自分が親しくなった者には、養父母のように災いが降りかかるかもしれない。
けれど、養父の遺言どおり、いつか自分を幸せにしてくれる者が現れるかもしれない。
人間に焦がれ、あるいは恐れながら、長い時を一人で過ごしてきた。
中には正体を知ってなお、笑顔をむけてくる者もいた。
だが、その目は例外なく怯えていた。
自分を恐れぬ術者と出会い、親交を深める事はあっても、心を許せる事は無かった。
術者たちは人と魔族の境界線をきっちりと引き、必要以上に関わろうとしなかったからだ。
「猟華さん・・・?」
罪の声に、猟華は我に返る。
軽く息を吐き、猟華は立ち上がった。
罪の手を取って歩き出した彼女は、明るい声で言った。
「さ、行きましょう。そうだ、挨拶していきたい人がいるんです。少し寄り道しても宜しいですか?」
「え、ええ、構いませんよ。ボランティアの方ですか?」
「はい・・・あれ、どうしてそれを?」
「今回の事件を調べていくうち、被害者の方の一人がボランティア活動をしている事が分かりまして。何か手がかりは無いかといざ行ってみたら、淫魔である貴女が援助活動をしているのを知り・・・正直、驚きました」
「クスクス。そうでしょうね、こんな物好きな魔族はそうはいないでしょう」
猟華の笑顔に、罪は慌ててフォローを入れる。
「あ、いえ! 変な意味ではなくて! 確かに変わってるなぁとは思いましたが、決して悪い意味での事ではありませんから!」
「あ、大丈夫ですよ、ちゃんと分かってますから」
「そ、そうですか・・・あ、あはははは」
「クスクス・・・」
(――彼なのだろうか)
今まで会った人間とは明らかに違う。
今まで会った術者とも明らかに違う。
この少年が、養父の遺言を叶えてくれる人間なのだろうか。
それは、これから過ごす時間によって分かる事なのだろう。
猟華の顔に、養父母が死んでから初めての微笑が浮かんでいた。
だが、猟華はまだ知らない。
この出会いの後で、一つの別れが待っていることを。
(5へ続く)
あとがき
できましたー・・・暑さでへばってるHEKSです~orz
『淫花に抱かれ~』の、4をお届けいたします。
今回、猟華の過去を明らかにしましたが、ちょっと補足をしておきましょう。
彼女は日本生まれの淫魔です。
ある場所で長い年月男女の交わりを見届け続け、生じた“淫の気”を吸収し続け、ついには自我を持つに至り、淫魔として誕生しました。
誕生までの経緯を見ると、彼女は淫魔というよりはむしろ物の怪に近い、と言えるかもしれません。
彼女を誕生させる源になった“淫の気”は、子宝が欲しいとか、恋人や夫婦の営みとかの“愛情”が根本であり、彼女もその影響を強く受けています。
彼女が愛情の無い性交、特に強姦などの陵辱行為を憎んでいるのはここに起因しています。
だからこそ陵辱者には怒りが爆発すると容赦がないのです。
彼女は確かにサド的な部分を持っていますが、それが発揮されるのは彼女が憎んでいる者だけです。
別に二重人格というわけでは無いのですよw
で、自我を持ち始めてすぐ、ある夫婦に引き取られて十五年ほど娘として育てられます。
この後は、文中にある通りです。
彼女は寂しがり屋な面があり、甘えん坊な所もあります。
ギュッと強く抱きしめられたり、頭を撫でられたりするのが好きだったりしますw
意外と子供っぽかったりするのですw
さて、『淫花に抱かれ~』も次回の5でラストの予定です。
今しばらく、猟華と罪の出会いの物語にお付き合いいただければ、ありがたく思います。
傷は降り注ぐ瓦礫によって付いたのだろうが、猟華が驚いたのは少年の背後に、途方もない量のビルの残骸が圧し掛かっていた事だ。
落下直後、少年はありったけの呪符と霊力を使い、自分と猟華を守る最小の結界を張った。
だが、途方もない重量に結界の力だけでは足りず、破れそうになった部分を自らの肉体で補った。
結果、少年は重傷を負いながらも瓦礫を自分一人で受け止め、猟華を救い、そのまま守り続けていたのである。
尋常な力ではない、どんな優れた術者でもこれだけの事をできるのは世界でも数えるほどしかいないだろう。
彼がいなければ、猟華は数十トンものコンクリートと鉄筋によって原形を留めぬほどに潰されていた筈だ。
いかな人外の化生といえど、もし肉体をそこまで破壊されていたら、再生は不可能だ。
周りが明るくなっているのは、大量の呪符がぼんやりと燃えるように発光しているからだった。
「あ・・・貴方・・・! どうし、て・・・!」
「一応・・・男だし・・・ね」
驚愕する猟華に、少年は微笑みながら答える。
それは、猟華にとって懐かしささえ感じる、優しい微笑だった。
「前言撤回です。変わった人どころではないですね、貴方は大バカさんです」
「ひ、ひどいなぁ・・・当たってるけど」
猟華は一瞬、泣きそうな顔をしたが、すぐに険しい表情を浮かべた。自分の置かれた状況を確認し始める。
(ここは、地下倉庫のようですね。・・・衝撃で気を失う前の感覚からして、落下したのは一階分くらいの深さ。気を失っていたのは・・・五分ほど。問題はどれだけの量の瓦礫が上に落ちてきたのか・・・)
「くっ・・・。機関の人たちが来ても、これじゃ・・・!」
「もう少し頑張ってください、私の力で脱出できれば・・・!」
猟華の髪の毛が“うねった”。
ザワザワと波打ち、見る見るうちに彼女の頭髪は伸び始め、先端から緑色に変化する。
それは、植物の“蔓”のようだ。
結界はドーム状に展開されているので、届いていない下の床の部分から這い出し、瓦礫の隙間という隙間に侵入していく。
猟華の額から汗が一筋、流れ落ちた。
(・・・ダメだわ・・・! 瓦礫の量が多すぎる、五人分の“淫蝕草(いんしょくそう)”を作り出したから、今の私にはここを脱出するだけの魔力が残っていない・・・!)
猟華は悔しげに唇を噛む。
周りにはこの結界以外の空間は見当たらない。
瓦礫によって潰されてしまったのか、淫蝕草に捕らわれた陵辱魔たちの姿はおろか、呻き声すら聞こえない。
と、呪符の一枚にピキ、パキ、と亀裂が入った。
呼応するように、頭上の瓦礫からパラパラと砂がこぼれ落ちる。
少年も、長くは持ちそうになかった。
(このままでは、いずれ私たちも・・・! でも、どうすれば・・・)
苦しげな少年の顔を見つめているうち、猟華は助かる方法を一つだけ思いついた。
だが、それは一時的に彼に今以上の我慢を強いる事になるものだった。
(・・・でも、選択肢は他にない・・・!)
「あの・・・」
「ん・・・な、なんですか?」
猟華の呼びかけに、少年は片目を開けて苦しそうに答える。
「貴方は、どこかの魔族と契約していますか?」
「いえ・・・。自分はまだ、誰とも、契約はして、いません・・・」
苦しげに、途切れながらの返事に猟華は頷く。
「それなら、一つだけここを脱出する方法があります」
「え・・・な、なんですか・・・?」
「私と契約してください」
「・・・・・・え?」
少年の顔が、火がついたかのように赤くなった。
「え、え・・ええぇ!?」
「契約すれば、貴方の霊力との相乗効果で私の力は数倍に膨れ上がります。そうすればここからの脱出も容易に出来るでしょう。ただ、状況が状況ですので仮契約になりますが」
「で、でも、その、貴女との契約って言うのは、その・・・」
「本来の契約は私と交わることで成立しますが、仮契約の場合は、私が口から貴方の精を飲むだけで済みます。契約時よりは劣りますが、ここを脱出するには十分な力を得られるでしょう。・・・貴方、女性との経験は?」
「あ、ある訳・・・ない、じゃないです、か!」
「そうですか。・・・どうしますか? 残念ながら、今の私の力では脱出は無理です。決断はお任せします。貴方の方が分かっているでしょうが、あまり時間はありません。急いでください」
「そ、そう、言われても・・・こ、心の準備ってもんが・・・くっ・・・!」
淫魔との契約とは、すなわちセックスに他ならない。
しかし、ただ単純に性交すればいいと言う訳ではなく、互いの魔力と霊力の質を高めながらこれも交わらせ、絶頂へと達する事が必要だ。
ある意味、房中術に近いといえるだろう。
だが、人間と淫魔では快楽に耐えるキャパシティが違いすぎる。
並みの術者では快感に飲まれ、全精力を淫魔に吸収されて果ててしまうだろう。
下手をすればそのまま死亡、良くても廃人は免れない。
淫魔以外の魔族との契約も、同じく命の危険を孕んでいるのだ。
故に、契約の前に相性をみる意味合いで、仮契約が行われるようになった。
これにより互いのキャパシティを計り、成功率を調べるわけだ。
女の淫魔との仮契約は、術者の精を淫魔が飲み、術者の属性・相性・霊力の強さや質を計る。
これに合格すれば、正式な契約をする事になる。
これは実質、淫魔による契約の適正試験を受けるような物なのだ。
少年はまだ年端も行かないが、術者としてその事は全て知っていた。
「ううぅ・・・選択肢は、ない、か・・・」
「ええ」
静かな声で、猟華が相槌を打つ。
性的なものを感じさせない、勤めて静かな声に少年の心は決まった。
「分かり、ました・・・やり、ましょう・・・!」
「はい。では、失礼しますね・・・」
猟華の細い指が、少年のズボンのジッパーを下ろす。
下着から取り出された彼のペニスは、猟華の想像よりずっと立派なものだった。
「それでは始めます。気をしっかり持っていてください」
「わ、分かり、ました・・・!」
猟華は垂れ下がっているペニスを軽く握ると、亀頭部に口付けした。
それだけで少年がビクン、と大きな反応をする。
普通ならばお構い無しに責めている所だが、今は必要以上に翻弄せず、とはいえ急いで射精を促さなければならない。
魔力を使って強制的に射精させる事はできるが、それでは意味が無い。
猟華の魔力が精液に溶け込んでしまうからだ。
あくまでも快感によって吐き出された、少年本人の純粋な精液でなければならないのだ。
淫魔である猟華でも、難しい注文であった。
(でも、やらなければ・・・!)
ゆっくりと起ち始めたペニスを口に含み、猟華は舌を亀頭の周りをクルクルと回転させたり、尿道に差し込んだり、先端部を重点的に責める。
そのうちペニスは熱を帯び、猟華の口の中で硬く、逞しく勃起した。
その脈動を感じつつ、猟華は頬や上顎に押し付けながら頭を動かして亀頭に刺激を与え、右手で肉の棒をこすりあげる。
「くっ・・・! う・・・! くぅぅぅ・・・っ!」
羞恥か、快楽か、あるいは傷の痛みの為か、少年の息が荒くなり、結界のあちこちが軋みを上げ、呪符たちの亀裂が多く、深くなっていく。
砂や小石が猟華の体に降りかかる。
残された時間は僅かだった。
「もう少しです、頑張って」
「は、はい・・・っ!」
歯をギリギリと食いしばり、少年は快楽と苦痛に必死に耐えている。
奇しくもそれは、猟華の淫魔としての特性と同じであった。
(彼を、早く解放してあげたい――!)
猟華は、いつの間にか少年を助けたいと強く思うようになっていた。
意を決し、最後の責めにかかる。
少年の腰を挟むように持ち、口を性器に見立て、激しく前後に動かし始めた。
「う・・・っく! うは、ぁぁ・・・っ、ぐは、うぁぁっ・・・!」
口をすぼめ、中身を吸い上げるようにしながらひたすらに肉棒を口内でしごきあげる。
猟華の唾液と少年の先走りの液が混じって潤滑剤となったそれが、じゅぷ、ぐちゅ、と淫らな水音を響かせる。
灼熱の肉棒を蕩かすような猟華の責めに、ついに少年は頂点に達した。
「う、ぁ、くぅ、ぁぁあ・・・っ!」
少女のような声を上げ、猟華の口内に吐き出した。
のどの奥を叩くような精液の射出に、猟華は眉をしかめつつも、口内を満たした白濁液をすぐに飲み干した。
(・・・!? これは・・・!)
猟華の体に、魔力が満ちる。
失われていた分を完全に補充し、なおも溢れんばかりの魔力が全身に満ちていく。
驚きに、猟華の唇からペニスが抜け落ちた。
「凄い・・・。質や強さだけの問題じゃない、これは・・・貴方は一体・・・。っ!!」
少年の体から、力が抜けた。
結界を構成していた呪符のことごとくが連鎖的に弾け、その力を失い一瞬で燃え尽きていく。
彼が猟華の上に倒れ込むと同時に、結界は完全に消滅した。
「くっ!! うぅぁああああああーーーーーっっっっっ!!!」
猟華の瞳が再び真紅に染まった。
急激な魔力の奔流は猟華の体から膨れ上がり、紫電の纏わりつく黒球へと変化する。それは少年を抱きしめた彼女を包み込んで、急速な上昇を開始した。
数十トンもの鉄筋コンクリートの塊が、黒球に触れた瞬間に砕かれて砂礫に変わり、下へと流れるように落下していく。
猟華たちはものの数秒で地上への脱出に成功し、そのままの勢いで夜空へと飛び出していた。
地上数十メートルの高さで浮遊するように動きを止めた猟華は、黒球を消して星を見上げた。
綺麗だ、と思った。
震災によって地上の過度な光源が失われた為に、夜空の星たちは冬の澄んだ空気の中、満天に光り輝いていた。
猟華は少年の傷だらけの体に力を流し、強力な治癒を施した。
腕の中で、少年が身じろぎする。
「あ、気が付きましたか?」
「う・・・え、ええ・・・えっと・・・?」
「脱出成功です。貴方の精は、私の体に・・・淫魔ととても良い相性でした。いえ、淫魔の体に特化していると言ってもいい程です。貴方、一体何者ですか?」
空を飛んでいる事に驚いて猟華にしがみ付いた少年は、照れ隠しに咳払いを一つして名乗った。
「自分の名は、久留間 罪。久留間一族の者と言えば、納得すると思います」
「久留間一族!?」
今度こそ猟華は心底驚いた。
久留間の名の由来は『繰る(くる)』『魔』から来ているとされ、魔族の間でも“魔を操る術者”としては有名な一族だったからだ。
名門中の名門と言っていいだろう。
自分の結界を素通りした事といい、瓦礫の山を防いだ事といい、並みの術者ではないと思っていた猟華は、ようやく少年の実力に合点がいったのであった。
「そうですか、まさか久留間の血族の方だったとは・・・」
「すみません、自己紹介が遅れちゃって」
そこで、猟華もまだ名乗っていなかった事を思い出した。
「あ、そういえば、私もまだでしたね。私の名前は“猟華”といいます。“狩り”をする“華”という意味です。これからよろしくお願いしますね、ご主人様」
「猟華さんか、いい名ま・・・え?」
最後の方で、妙なことを言われた気がした少年は聞き返した。
「ん、どうしました? 傷が痛むのですか? ご主人様。先程、私の力で治癒を施しておきましたが・・・まだ傷みますか?」
「いや、体の方は大丈夫っぽいんですけど・・・ご、『ご主人様』って一体・・・?」
「え、何を面食らっているのですか? 貴方は私と仮契約したではありませんか。そして、それは見事合格です。私は貴方との契約を望みます」
「い、いやいやいや! だってあれは脱出する為にした事で、やむを得なかったと言うか、他に手がなかったと言うか」
「ええ、そうでしたが・・・。私は、貴方の事が好きになってしまったようです。貴方さえ良ければ、私は貴方と契約したい」
猟華自身、自分の変化に驚いていた。
彼女はあまり人に深く関わらず、さりとて完全に離れる気にもなれずに人間に混じって暮らしてきた。
人外の者であるという事実を隠してそんな半端な生活をしてきた猟華は、いつしか人の温もりを求めていたのかもしれない。
自分を娘として抱きしめてくれた、あの優しい老夫婦のような温もりを。
そして、それをこの少年ならば与えてくれるのではないか・・・そう思えたのだった。
「クスクス。今すぐに決めて欲しいなどとは申しません、じっくりお考え下さい」
「あ、・・・う~・・・はい・・・。で、でも、『ご主人様』はやめてください、途轍もなく恥ずかしい」
「え、そうですか・・・。少々残念ですが、仕方がありませんね。では、何とお呼びしましょう」
猟華の笑顔にうろたえながら、罪は赤い顔で答える。
「ざ、罪、でも久留間、でも好きな方でいいですよ」
「ん・・・。では、罪さんとお呼びしましょう。よろしくお願いしますね、罪さん」
「い、いえいえ、こ、こちらこそ」
とうとう猟華の顔を見る事ができなくなり、罪は眼下の光景へ目をやった。
よく見れば、暗闇の中で幾つもの小さな光が動いている。
恐らく駆けつけた機関の者たちだろう。
猟華が気を失った際、彼女の結界も消滅していた為にビルに近づけたようだ。
「猟華さん、そろそろ降りましょう。機関の人達が待っているみたいです」
「え。・・・もう少しこうしていたい気もしますが・・・仕方ないですね。ところで罪さん?」
「はい?」
「降りる前に、その、ズボンを元通りにしておいた方がいいですよ?」
「え・・・うげぇ!?」
先程、猟華に昇天させられた分身がだらしなく夜風に晒されていた。
空中だという事と猟華の『ご主人様』に気を取られ、まるで気が付かなかったのだ。
これ以上染まりようがないというくらいに赤い顔で、罪は慌ててしまい込むのだった。
地上に降り立った二人を、作業服姿の人間が十人ほど待ち構えていた。
さっきまでとは打って変わった真剣な顔で、罪はテキパキと彼らに状況説明と指示を与えた。
結局、五人の陵辱者たちは瓦礫に埋もれ、生存は絶望的だった。
仮に息があったとしても、猟華の作り出した緑の女・・・淫蝕草に捕らわれたままなのだ。間違いなく精を極限まで抜かれ、じきに命の火も消えてしまうだろう。
猟華と罪が脱出の際に開いた穴も再び瓦礫に埋もれ、穴があった事など分からなくなっていた。
ここで起こった事は、全て“無かった事”になった。
「猟華さんは、どうしますか?」
「え、何を言ってるんですか。私はまだ返事を貰っていませんよ、もちろん貴方について行きます。それに、連中が送られる筈だった“生き地獄”も見てみたいですし」
「そう・・・ですよねぇ~・・・あはははは」
困ったように笑う罪に、猟華が周りの作業員に聞こえるように大きめの声で聞く。
「む、返事が貰えるまで、私は同行しますよ。断ったりしませんよね? ご主・・・」
一瞬、空気が凍るような錯覚が罪を襲う。
「ええ! それはもう! 歓迎しますよ! あっはっはっ!!」
周りの作業員が何事かと目を向ける中、罪のワザとらしい笑い声が響く。
彼は猟華と仮契約した事を内緒にしていたのだった・・・さすがに恥ずかしいのであろう。
満足げに頷く猟華の視界の隅に、小さな何かが見えた。
「? ・・・あ」
足元の小さなそれを、猟華はしゃがみ込んで見つめた。
「あは、は・・・? 猟華さん? どうしました」
「・・・花です」
罪が近寄って覗き込むと、猟華は小さな花を見つめていた。
大人の親指程度の小さな白い花が、そよ風で折れてしまいそうに弱々しく揺れている。
同じ花が五つ、それぞれが少し離れた場所でひそやかに咲いていた。
「可愛らしい花ですね」
「・・・淫蝕草の花です」
「えっ?」
猟華は悲しさと慈しみが入り混じった瞳で、花を見つめている。
「淫蝕草は餌食にした人間の命が消えた後、種となって花を咲かせます。そして、その人間の“優しさ”や“情”が深ければ深いほど、美しい花を咲かせるのです。連中の中にも、一欠けらの良心が残っていたのでしょう。・・・こんなに弱々しい、簡単に欲望に負けてしまう良心を・・・」
静かな猟華の声には、やるせない想いが込められていた。
「どうして人は、負けてしまうのでしょうね・・・欲望に」
その小さな呟きは、罪の耳には届かずに、風に流れて散った。
猟華を迎え入れてくれた老夫婦は、彼女を我が物にしようとした無法者らの手によって殺された。
怒りに我を忘れ、その時、彼女は初めて人を殺めた。
全員を嬲り殺しにし、落ち着いた後、まだ息があった養父から貰った最後の言葉。
『猟華、人間を嫌わないでおくれ。いつかきっと、お前を受け入れてくれる人間が現れる。そして、お前を幸せにしてくれるだろう・・・』
自分が親しくなった者には、養父母のように災いが降りかかるかもしれない。
けれど、養父の遺言どおり、いつか自分を幸せにしてくれる者が現れるかもしれない。
人間に焦がれ、あるいは恐れながら、長い時を一人で過ごしてきた。
中には正体を知ってなお、笑顔をむけてくる者もいた。
だが、その目は例外なく怯えていた。
自分を恐れぬ術者と出会い、親交を深める事はあっても、心を許せる事は無かった。
術者たちは人と魔族の境界線をきっちりと引き、必要以上に関わろうとしなかったからだ。
「猟華さん・・・?」
罪の声に、猟華は我に返る。
軽く息を吐き、猟華は立ち上がった。
罪の手を取って歩き出した彼女は、明るい声で言った。
「さ、行きましょう。そうだ、挨拶していきたい人がいるんです。少し寄り道しても宜しいですか?」
「え、ええ、構いませんよ。ボランティアの方ですか?」
「はい・・・あれ、どうしてそれを?」
「今回の事件を調べていくうち、被害者の方の一人がボランティア活動をしている事が分かりまして。何か手がかりは無いかといざ行ってみたら、淫魔である貴女が援助活動をしているのを知り・・・正直、驚きました」
「クスクス。そうでしょうね、こんな物好きな魔族はそうはいないでしょう」
猟華の笑顔に、罪は慌ててフォローを入れる。
「あ、いえ! 変な意味ではなくて! 確かに変わってるなぁとは思いましたが、決して悪い意味での事ではありませんから!」
「あ、大丈夫ですよ、ちゃんと分かってますから」
「そ、そうですか・・・あ、あはははは」
「クスクス・・・」
(――彼なのだろうか)
今まで会った人間とは明らかに違う。
今まで会った術者とも明らかに違う。
この少年が、養父の遺言を叶えてくれる人間なのだろうか。
それは、これから過ごす時間によって分かる事なのだろう。
猟華の顔に、養父母が死んでから初めての微笑が浮かんでいた。
だが、猟華はまだ知らない。
この出会いの後で、一つの別れが待っていることを。
(5へ続く)
あとがき
できましたー・・・暑さでへばってるHEKSです~orz
『淫花に抱かれ~』の、4をお届けいたします。
今回、猟華の過去を明らかにしましたが、ちょっと補足をしておきましょう。
彼女は日本生まれの淫魔です。
ある場所で長い年月男女の交わりを見届け続け、生じた“淫の気”を吸収し続け、ついには自我を持つに至り、淫魔として誕生しました。
誕生までの経緯を見ると、彼女は淫魔というよりはむしろ物の怪に近い、と言えるかもしれません。
彼女を誕生させる源になった“淫の気”は、子宝が欲しいとか、恋人や夫婦の営みとかの“愛情”が根本であり、彼女もその影響を強く受けています。
彼女が愛情の無い性交、特に強姦などの陵辱行為を憎んでいるのはここに起因しています。
だからこそ陵辱者には怒りが爆発すると容赦がないのです。
彼女は確かにサド的な部分を持っていますが、それが発揮されるのは彼女が憎んでいる者だけです。
別に二重人格というわけでは無いのですよw
で、自我を持ち始めてすぐ、ある夫婦に引き取られて十五年ほど娘として育てられます。
この後は、文中にある通りです。
彼女は寂しがり屋な面があり、甘えん坊な所もあります。
ギュッと強く抱きしめられたり、頭を撫でられたりするのが好きだったりしますw
意外と子供っぽかったりするのですw
さて、『淫花に抱かれ~』も次回の5でラストの予定です。
今しばらく、猟華と罪の出会いの物語にお付き合いいただければ、ありがたく思います。
テーマ:二次元総合 エロゲーエロ漫画エロ小説など - ジャンル:アダルト
この記事へのコメント
>>よしまるさーち さん
おぉっ、リンクしていただいたとは、ありがとうございます。
こちらからもリンクしてさせて頂きます。
読み物やかたのバナーは、ダウンして使ってもいいのでしょうか・・・。
ひとまず、サイドのリンク欄には登録しておきます。
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2007/08/22(水) 21:59:44 | URL | HEKS #195Lvy4Y[ 編集]
いやいや、読み物のバナーのダウンは一向に構いませんが、アクセスにあまりお役に立ててないんで、お気遣い無く。
今でも十分恐縮ですから・・・
今でも十分恐縮ですから・・・
>>よしまるさーち さん
いえ、そんな事は無いと思います。
アダルトジャンルは競争激しいですから、アクセスアップもダウンも『運』の要素大かとw
暇を見てトップにもリンク作っときます。
こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。
いえ、そんな事は無いと思います。
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暇を見てトップにもリンク作っときます。
こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。
2007/08/23(木) 21:37:23 | URL | HEKS #195Lvy4Y[ 編集]